「真面目だね」「ストイックだよね」というのは誉め言葉じゃない件。

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やまだ

それはちょっと傷つくなぁ…

真面目な人が「真面目だよね」と言われたら、ちょっと非難されたような気持ちになる。

チクっと心が刺されたようなそんな思いをしてしまうこと。

私の経験から「それは言ってくれるな」と思う言葉が、「真面目」「ストイック」です。

この言葉を普段周りの人に言っている人がいたら、小さく走る心の痛みの話をきいてくれませんか。

目次

それ、ディスってます。

私は講師業で起業して8年になります。

「やってみたらいいよ」と言われたことは大体やってみて、納得いくまで続けることが多いです。

自分がやりたくてやっていることなので全然苦痛でも我慢でもないのですが、聞かれたことに対しこういうことをやっているよと話をすると、

いや、真面目だね

ストイックだよね、本当

といわれることが多く、その度に悲しい気持ちになるのです。

そういわれることで、私への非難する気持ちが透けて見えるからです。

それ、無意識に非難しているのでは?

「真面目」「ストイック」という言葉から連想されるのは、

私にはできない

興味がない

やる意味あるのかわからない

という感情です。

やりたくないし興味もない、よくやるよねっていう「鼻で笑う」ような。

それをオブラートに包んで発して出るのが、先の言葉じゃないだろうかと感じています。

真面目という言葉は真面目に生きている人にとってそれは当たり前であって、ちっとも誉め言葉として受け取れないです(異論は認めます)。

私がこの言葉を言われたら「この人、ドリームキラー?」と線を引いてしまうことも…。

ドリームキラーとは、人の夢や目標を壊そうとする人のこと

意識的にこの言葉で「え?マウントなの?」みたいに非難しているなら対応もできますが、親しい関係の中でこの言葉をサラッと言われると、ウッと言葉に詰まります。

あなたにもある「心地いいこと」があるなら

あなたにもありませんか?

夢中になって時間を忘れてしまう、楽しくて苦労なんて言葉が必要ないくらい、ワクワクすること。

習慣化したことで、自分にとっていい結果や感情が得られること。

別に人に褒められたくてやっているわけではない。

「私がやりたくてやっていること」に対して「(目標への到達のために)自分を厳しく律する」という意味をもつ『ストイック』という言葉で評価されるとどういう気持ちになるでしょうか。

自分に厳しくやってるわけじゃないのに、という残念な気持ちになりませんか。

相手のやっていることに理解できなくてもその道中の気持ちが理解できるなら、マイナスイメージが強い「真面目」「ストイック」という言葉を使うのではなく

誠実だね

続けられるってすごいね

と応援する言葉に替えてくださいませんでしょうか。

相手のことを友達だと思っているなら、無意識のディスりは不要なものだから。

理解できなくていい、でも

世の中には理解できないことだらけ。

その「理解できないこと」に知らん、わからん、とバサッと斬るのではなく

知らないし興味もないけど、そういうことをやりたい人もいるんだな

と一拍おいてみると、優しい世界に近づきます。

あなたが周りから否定されずに穏やかに暮らすには、周りへの否定を少しずつやめて、

その事実だけ見る

と、ネガティブな感情に心をいつまでも支配されないようになります。

思うのは自由です。

でも意外と無意識にその否定の気持ちが言葉で出ていることも多いから、言葉を選んで発することは日々練習あるのみです。

私も日々修行の身です。

おわりに

相手の話を聞きながら「よくやるよね(呆)」と思う気持ちがでてきたら、

「私も事象は違えど、そういうことってあるよね」と思うことで、互いに気持ちのいい言葉が自然と出てくるのではないでしょうか。

そしてもし、あなたにとっていわれて傷つく言葉があるなら、

「どういってもらえたら嬉しいかな」を考えて相手に伝えてみることで、相手との関係性もさらにいいものに変わっていくかもしれません。

私にとって「真面目」「ストイック」は傷つく言葉であることには変わりはありませんが、もし相手にそのような印象を受けたとしたら

やまだ

好きなものにまっすぐですごいね!

と伝えていきたいと思います。

楽しいと思える気持ちは心から理解できるから。

それではまた☺

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